「推し」を語りながらゆるゆると外国語学習
日本人はなぜ「英語」ができないのか?
中学・高校の6年間。ほぼ毎日英語の授業を受けていながら「英語が話せる!」と言えない私たち。なぜなのでしょう? なぜ「できる」ようにならないのでしょう?
なんの学術的根拠もない、私の個人的な考えなのですが、日本人が「英語」が苦手な理由…。それは「単なる思い込み」だと思うのです(爆)
日本人は「まじめ」というか、「できる」と言っていいと思う基準がすごく高くて、「なんの支障もなく、ビジネスレベルの交渉ができるくらい」にならないと「英語得意です!」って言っちゃいけないような気がする…んですよね。
海外では、「日本語できるよ!」って自信満々の人が蓋を開けてみたら、「日本語の単語(しかも怪しい)をいくつか知ってる」くらいだった、ってコトはわりとよく聴く話です。
「英語力」ではなく「意志疎通をしよう!」とする気持ちが希薄なのかな、とも思うのです(あくまで個人的な感覚です)
机にかじりつくだけが「習得の道」じゃない!
同じように、「外国語習得」というと、「机の上で教科書とノートに向かって、毎日〇時間以上勉強する!」みたいなイメージがあると思うのです。それって、しんどいし、よほどの確固たる「目的」がないと続かないですよね。
そういう種類の「勉強」が必要な時もあります。たとえば、資格取得とかTOEICなどの「スコア」重視、合格・不合格がある「試験」にチャレンジするとき、など。
それは「合格」を目指す時の勉強の仕方、なんですよね。
実際にその外国語を使って話そうとおもったときに一番必要なのは、「コミュニケーションしたい!」という気持ち。つまり「間違ってても、身振り手振りでも(なんなら日本語でも)いいから、とにかく相手に自分の気持ちを伝える!」という気合。
口に出してみる、自分の耳で聴いてみる!
それには、やっぱり口に出して言ってみることが必要ですし、耳で聴いてみることが必要。特に中国語は、音声教材のようなキレイな発音ばかり聴いていると、「思ってたのと違うやん!」ってコトになります(笑)
動画サイトなんかで見る芸能人の話す中国語は、音声教材に慣れていると、はじめは違和感があるかもしれません。しかしながら、実際にネイティブの人と話してみると、「芸能人の話す中国語」もとてもキレイな(≒わかりやすい)中国語の部類に属すると気づきます。
外国語習得の動機っていろいろあると思うのですが、元中国語通訳者の私が、「中国語ができるようになりたい!」と思った動機は実に不純でした。TVの中国語講座に出ている俳優さんが素敵で「いつかこの人と中国語で話したい!」というもの(ちなみにこの夢は実現しちゃいました!この話はいつかまたどこかで)。
大学を出てから7年間。中国語と全く関係のない仕事をしていたのですが、再度「中国語」の道に戻る決意をしたのも、やっぱりTVがきっかけで、香港の標準語放送局の音楽番組に出ていた人が素敵で、「この人がしゃべってることを理解できるようになりたい!」というものでした。
動機は不純でいい!
…というか、むしろ「不純」な方が続く、というか(笑)
2009年に初めて韓国語を習い始めました。先生について習ったのは、最初の3年ほどで、それ以降はほとんど「勉強」らしい勉強もしていません。おそらく最後にTOPIK(韓国語能力試験)を受験したのは2011年だったと思います。
つまり、それ以降はテキストなどは全く使わず、SNSやTV、動画などで見たり聞いたりしながら、時々わからない単語を調べたり(することもある)ぐらいの「ゆる」さで続けて来ました。
韓国旅行でなんとか使えるレベルに
正確な「レベル」はわかりませんが、韓国旅行に行っても日本語非対応のごはん屋さんで食事ができるとか、韓国語で簡単な交渉ができたりとか、動画等で字幕が無くてもなんとなく内容がわかるとか、韓国語のインスタもなんとなく理解できるとかになりました。
「推し」を語りながらゆるゆると続けて来た韓国語ですが、必死に勉強した中国語よりも上達のスピードが速いように感じています。
ゆるゆると「推し」を語りながら「外国語習得」できないか
資格取得や難易度の高い試験合格をめざすのでなければ、ゆるゆると「推し」を語りながら、そこそこの習得をめざすことは可能かなと思います。
2009年から見続けて来た韓国アイドルや、しばらく離れていた中国語圏の芸能界の事、たまには、私が担当しているインターネットラジオの話などもしながら、ゆる~く中国語・韓国語(たまには英語?)のことを語っていきたいなと思っています。